アバンセ館長コラム第21号(令和5年12月)

アバンセ館長コラム 第21号                                                   ウクライナと日本の感動秘話(令和5年12月)

 11月23日に日本ウクライナ協会会長の岡部芳彦氏(神戸学院大学教授)の講演を拝聴しました。ケア・インターナショナルJAPANという、女子と女性の自立支援を目的とした国際NGOがあります。その団体の佐賀県支部、ケア・サポーターズクラブ佐賀が主催した研修会でした(私も設立時より理事として活動しています)。

 ウクライナの民族衣装を身に着けた岡部先生の話は軽妙で、あっという間に一時間の講演が終わってしまいました。ウクライナという国を一気に身近に感じさせるひとときでした。そのエッセンスをこのコラムに書き残したいと思います。

 

 「ウクライナは、日本の隣の隣の国です。」と岡部先生。なるほど、世界地図を見ると、日本の隣がロシア、その隣がウクライナ。遠い国と感じていた心の距離がぐんと近まります。「美味しいボルシチも、ロシア料理ではなく、実は、ウクライナの料理ですよ。」とも教えてくださいました。そして、ウクライナ人と日本人との交流秘話をいくつか話されました。そのひとつを記します。

 

 旧ソ連時代の第二次大戦前後、ソ連各地の強制収容所に独立運動をしていたウクライナ人が政治犯として数多く収容されました。1953年、北極圏の過酷なノリリスクの第五収容所ではウクライナ人が抑圧からの解放や自由を求めて蜂起しました。ソ連側からは「暴動」を鎮圧するために多くの兵士が動員され、蜂起した多くのウクライナ人らが処刑されたそうです。しかし、その事件をきっかけに収容所が閉鎖される流れとなりました。

第五収容所には、他の国の人間も拘束されていました。蜂起当時、少なくとも50人近い日本人がいたようです。収容されている日本人の代表が蜂起したウクライナ人に会いに行くと、ウクライナ人は、「ここには死のにおいがする。君たちは何も知らなかったことにして、近づかないほうがいい。」と忠告したそうです。その日本人は、「仲間に相談してみる」といったん帰ったそうですが、後から戻ってきて、「君たちのしていることは人間として正しい。われわれ日本人は、君たちと一緒に戦うことに決めた。」と伝えました。蜂起したウクライナ人は、その日本人の申し出に心から感激したそうです。この話は、生き残ったウクライナ人の手記に書かれていました。「私は、その後日本人たちがどうなったかはわからない。けれど、私はそのことを一生忘れないだろう。」という言葉が手記の最後に結ばれていました。

 

 この70年前のノリリスクの蜂起は、ウクライナ独立を語る時に欠かすことのできない出来事だということです。そこに、日本人との魂の交流があった事実を知って欲しいと岡部先生が熱く語られました。

私は、「ラーゲリより愛を込めて」というシベリア強制収容所での日本人をテーマにした映画を思い出しました。どんな過酷な環境でも、人間の尊厳を捨てずに生き抜いた人々がいたことをあらためて知りました。


 2023年もあとわずか。来年は、辰年。よき一年を迎えたいものです。皆様も、今年一年間お疲れさまでした。年末年始、御身を労わってください。

 これまで、長く細々と続けていたふたつの分野をつなげて話ができたことを嬉しく思います。これからも、別々だったもの、分断されがちなものをつなげる働きができたらいいなと願っています。

 
 アバンセ館長 田口香津子    プロフィール


 アバンセ館長

   佐賀女子短期大学 学長 (2018.4-2022.3)

 認定NPO法人 被害者支援ネットワーク佐賀VOISS理事長

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