アバンセ館長コラム第14号(令和5年5月)

アバンセ館長コラム 第14号 「にこにこ じわじわ」だけじゃない(令和5年5月)

 私は、長い年月、カウンセラー(臨床心理士)として、さまざまな人間関係の相談をうけてきました。その一方で、自分自身も職場や家庭、地域での人間関係の中で生きてきました。価値観の溝はどうしても埋めようがないと思える場面も多々ありました。ただ、できる限り、平和的に解決したい、マイナス感情のキャッチボールにならないように、居心地の良い関係を持続できるようにという構えを心掛けてきました。今でいう「アンガーマネージメント」、怒りのコントロールをしてきたのでしょう。


 26歳の時、不本意ながらも、第一子誕生を機に、専業農家の夫の両親と同居しました。姑は、良妻賢母を絵に描いたような、働き者の本家の「嫁」でした。子どもたちにとって、特に祖母は、両親以上にいつも家にいてくれる頼れる存在でしたから、同居してありがたかった点もあるのです。ですが、自分の育った場所で自分の親と暮らす夫と違って、私には、疎外感がつきまといました。夫にどう訴えても、そこを理解してもらえない立場の違いを痛感しました。「子どもを見てもらっているのだから我慢しなきゃ」と言われると、「あなたは何も捨てていないのに、私は名前も居場所も自分の意見も捨てている、なんて不平等なの」という想いが沸き上がってきました。ただ、最終的に同居を承諾したのは私です。子どもたちの前で、不仲な大人たちを見せたくなかったので、価値観や教育観の異なる夫の両親に口答えしないと決めました。でも、一方で、私の筋は曲げたくなかったのです。


「なんで、男に洗濯もんを干させるとか。女がせんば。」「男が台所で茶碗を洗って恥ずかしか。」夫の両親の世代は、それが大多数の価値観だったのでしょう。そんな時、喧嘩口調にならないようにして、笑いながら、「私が朝ご飯を作っている間に、洗濯物干してもらっています。仕事に間に合わないからですね。」等と答え、夫の家事参加は続けてもらいました。文句を言っても、ニコニコしながら受けながし、一向に行動を変えない息子の嫁にとうとうさじを投げたのか、いつのまにか、夫の両親からは文句を言われなくなりました。


あの頃、夫の家事育児の参画がなければ、私は、妻として母として居続けることができなかったと思います。「にこにこ、じわじわ」これが、私の戦い方でした。堂々と自己主張して手に入れるという戦い方が正統派だとすれば、私は変則技だったかもしれませんが、葛藤状況にあって、他人の意見に従うのでなく、自分でそう決めたやり方を貫けたから、納得できた気もします。


今、アバンセ館長となって、戦い方は、「にこにこ、じわじわ」だけじゃないと思っています。明らかな人権侵害や暴力行為に対しては、例えば、「それはハラスメントです。止めてください。」と躊躇なく声をあげることができる環境を作っていきたいと思います。実は、子どものころから、「この行為は許せない!見過ごせない!」とスイッチが入ったら、相手が誰であれ、猪突猛進で抗議してきたエピソードもいろいろあるのです。


「導火線は長いのですが、火が付いたら爆発は大きいので、ご用心ください。」

 
 アバンセ館長 田口香津子    プロフィール


 アバンセ館長

   佐賀女子短期大学 学長 (2018.4-2022.3)

 認定NPO法人 被害者支援ネットワーク佐賀VOISS理事長

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