アバンセ館長コラム第18号(令和5年9月)

アバンセ館長コラム 第18号   胸の痛くなる記憶を紐解くと (令和5年9月)

 場面を思いだすと胸がチクッと痛む、恥ずかしくなる記憶がいくつかあります。もとい、いくつも、です。私自身の思慮の浅さ、調子に乗りやすさ、あいまいな態度などが原因です。それに加えて、私が気づかない不遜さを直接指摘できないまま、胸の内に収めている周囲の方々もいるのではと察します。


 平成時代の出来事です。ある昼食会で、何気にそこに居ない人々の話題になりました。最初は聴いていたのですが、談笑している雰囲気につられ、「そういえば、あの方も○○みたいです」と、一言、口にしてしまいました。話の輪の中に入りたい気持ちがそうさせたのかと思います。もし、その方がやりとりを聞いたらきっと不快な気持ちになってしまっただろう言葉を私は発してしまいました。


 数年後に、その場にいた方から、「あの時のこと、あなた覚えているの?私、あんなことを言ったあなたが信じられなかった」と言われました。「あなた、人権の講師もしているのに」と言葉を重ねられた時、複雑な気持ちに陥りました。(他の人の発言は許されて、私だけが責められるの?)という気持ちと(確かにそうだ。私の弱さを指摘された。そう言ってくれる人は貴重だ)という気持ちと(なんであの時言ってしまったの。あの恥ずかしい記憶を消し去りたい)という気持ちと。明らかに動揺しましたが、その出来事は、強い自戒の機会になりました。


 そこに居ない人のうわさ話で盛り上がる。こんな光景は、子どもの頃も教室で繰り広げられていました。大人になっても、職場や地域の井戸端会議の最中にも度々あっていました。その輪の中にいると、違和感を感じても、和やかなムードを壊してはいけないとブレーキがかかりがちです。その話題が、特定の個人をターゲットにして、「実はここだけの話、、、」と切り出されると、つい好奇心を掻き立てられます。その集団外の人との差異を強調し、「私たちとあの人は違う。私たちは仲間。安心していい。」と確認する行為は、社会的動物としての側面だとも捉えることができるでしょう。

 

 ですが、全面肯定しているわけではありません。誰かと一緒に安心安全で暮らしたいという基本的な欲求は誰でもあります。が、立場を入れ替えて考えてみましょう。ある集団が拘束力を高めるために、もし自分がたまたまターゲットにされ、悪意によって、仲間外しや誹謗中傷を受けるとしたらどうでしょうか。恐ろしいですよね。ターゲットになりたくないから、ターゲットを攻撃する。ターゲットと距離を取る。まさにいじめの構図です。最初は安心を求めて集団に入ったはずなのに、その集団内に所属しても心の底では安心できなくなるのです。そんな環境で生き続けるのも苦しいことです。


 どんな人と付き合うか、どんな集団に身を置くか、究極の言い方をすれば、今は、個人が環境を選べる平和な時代です。合わなければ、離れる選択肢があります。ですが、一時的にせよ、孤独を引き受ける覚悟が要ります。残念ながら、不安や過ちや後悔がゼロにはなる人生の選択肢はありません。ただ、どんな人間になりたいのか、どんな人生を送りたいのかは、自分で決めることができます。そこに味方や協力者がいてくれたら、どんなにありがたいか。


 このコラムを通して、あなたってそんな人だったの?と、軽蔑される不安を乗り越えて、自分の弱みを伝えられる勇気を持ちたいと願って、書きました。読んでいただいた皆様にも、私にも、胸の痛みを開示して、つながることができる出逢いがありますように。

 

 
 アバンセ館長 田口香津子    プロフィール


 アバンセ館長

   佐賀女子短期大学 学長 (2018.4-2022.3)

 認定NPO法人 被害者支援ネットワーク佐賀VOISS理事長

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