アバンセ館長ルーム

 

アバンセは、幸せに生きたい県民の応援団です。男女共同参画社会づくりの促進の拠点であり、パートナー間などあらゆる暴力の撤廃の拠点、生涯学習の振興の拠点でもあります。

    館長の仕事は、そんな多様なアバンセの魅力を発信すること。その魅力とは、人との出会いで生まれるものです。この館長ルームでは、アバンセの職員紹介とともに、その折々の出来事を通して感じたことを綴っていきます。ときどき、ふっと道草したくなるような、自在なお気持ちで、館長ルームにお立ち寄りください。

 

最新のアバンセ館長コラム

第36号 令和7年4月「アバンセ館長という巡りあわせ」

 アバンセが開館した1995年は、激動の年でした。

すぐに思い浮かぶのは、阪神・淡路大震災(117日)、地下鉄サリン事件(3月20日)、沖縄少女暴行事件(94日)の3つです。316日にアバンセが開館した喜びも、8月末から第4回世界女性会議NGOフォーラムに参加できた感激も、圧倒的に痛ましい事故や事件の衝撃で消し飛んでしまったような記憶があります。

 

アバンセ開館当時、私は35歳。9歳、7歳、5歳の3人の子どもの母親で、短大生に障がい児保育や臨床心理学や女性学の授業をし、臨床心理士として仕事やプライベートで様々な相談にのり、隙間に詩や短歌を書いていました。一度も子どもと離れて外泊したことはなかった私が、1週間の海外派遣事業「女性の翼」に応募し、世界女性会議NGOフォーラムに参加したことは、人生の大きな岐路だったと思えます。そして、1998年から現在も携わっている、犯罪被害者支援の道へ踏み出すきっかけの年でもありました。

 

佐賀女子短期大学では、女性初の、児童教育学科長(2年)、副学長(4年)、学長(4年)を経験。自ら手に入れる努力をしたというよりも、周囲の期待と巡り合わせの中で不安の渦に飛び込み、チャレンジしてきたというほうが適切な表現だと思えます。

副学長は55歳の時。学校経営の一翼を担う立場となりました。次年度の入学者数が明確な成果指標。利害の絡む中で、どの選択をしても批判や反対がつきまとう、プレッシャー続きの逆境の8年間でした。だからこそ、一緒に進んだ仲間に恵まれ、大きく判断を間違えることがなかったという振り返りもでき、人間的に成長でき、自己肯定感もアップしました。苦難に磨かれた貴重な経験でした。

 

そして、学長退職直後の令和4年度に、アバンセ館長に就任するという巡りあわせがありました。

館長職は、職員目線の内側からと県民目線の外側から、そして、過去と未来と、アバンセを俯瞰してみていく立ち位置にいて、アバンセの理念に沿った良い風を吹かせる仕事だと捉えています。

 

この3年間を内側から振り返りますと、令和4年度は、SDGsの導入、人材確保と待遇改善が課題の年。令和5年度は、第7期指定管理申請をクリアし、待遇改善実現に着手した年。令和6年度は、開館30周年の一連の事業を国スポ全障スポ開催の影響を受けながらもやり通せた年でした。順風満帆とは言えない、いくつかの危機をアバンセという組織も、アバンセの組織に所属する皆さん自身も乗り越えてきたのではないかと思います。ここでも仲間に恵まれました。


アバンセの目指す理想と現実とのギャップとを感じる社会の状況もあります。とはいえ、アバンセは、前進という名前のごとく、個人や社会に新しい何か、光となるものを提供し、変化を生み出し、相手を少しでも幸せにできる、公共性の高い営みができる環境にあります。

 

令和7年度も、引き続き、仕事に向き合う姿勢 オープン、チャレンジ、サポートの3つのミッションを大事にしていこうと、アバンセの職員にも伝えています。

今年は、チャレンジ色が強めの館長企画を致します。佐賀の若い世代に向けて希望を抱かせるものを考えています。ゴールが見えない中で多様性を大事にしながら課題解決に柔軟に取り組む、この過程を味わうことが財産になりそうです。

随時、コラムでも報告したいです。お楽しみに。


 

アバンセ初代館長の船橋邦子さんと対談しました。

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 アバンセ館長 田口香津子    プロフィール


 アバンセ館長

   佐賀女子短期大学 学長 (2018.4-2022.3)

 認定NPO法人 被害者支援ネットワーク佐賀VOISS理事長

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