「70年目の夏」 (平成28年7月21日)

 今年は、日本で公民館の設置がうたわれてから70年目の「ふしめ」の年になります。1946年7月に文部次官通牒(つうちょう)「公民館の設置運営について」が出されてから70年が経過しました。その後、公民館は市町村の社会教育・生涯学習の中核機関として発展を遂げてきました。

 

 都道府県立の社会教育・生涯学習センターは、石川県社会教育センター(1966)を嚆矢(こうし)としますが、本格的には1990年代に整備されていきます。アバンセも生涯学習センターと女性センターとの複合施設として1995年に開館しています。アバンセの開館によって、市町村は公民館、県は生涯学習センターという重層的な構造ができ、アバンセは社会教育施設のセンター・オブ・センターとしての立場が求められるようになったわけです。

 

 ところが歴史を振り返ってみると、興味深いことがあります。社会教育法では公民館は市町村が設立すると定められています。しかし、佐賀県には県立の公民館があったのです。1948年3月19日、県告示125号によって佐賀市松原町の県立図書館内の一室に設置されました。中央公民館には、総務部、文化部、民生部、図書部が置かれ、初代館長は、佐賀県図書館長の小出憲宗氏が兼務しました。おそらく日本全国みても、県立公民館が設置されたのは、佐賀県だけだったのではないかと思います。

 

 中央公民館の総務部は、機関誌「明」(あかり)を発刊しました。誌名は一般公募で、1948年8月に創刊し、1952年まで刊行していました。その後、誌名を「新郷土」と変更し、90年代まで刊行していました。文化部は公民館附属の「中央劇団」をもち、民生部では住宅改善事業を実施し、図書部は幻燈フィルムを自主作成し地方の公民館に貸出しをしていたようです。

 中央公民館の活動の甲斐もあって、佐賀県では市町村での公民館の設置率も高く、当時の122市町村のうち106の市町村が設置し、全国二位の設置率でした。市町村の公民館は、「明」を参考に公民館報を刊行するところが多かったようです。

 中央公民館は1951年3月に県文化館と改称され、県立公民館としての幕を閉じます。アバンセが、県立中央公民館の後継だとしたら、70年後の今、何ができるでしょうか。

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